創立者 聖マリ・ウージェニー


創立者マリ・ウージェニー

誕生

1817年8月25日

アン・ウージェニーは、フランスのメッツ市で生まれました。
家庭は大変裕福でしたが宗教にはあまり熱心ではありませんでした。
しかし、母は深い道徳心をもっていました。

初聖体

1829年12月25日

12才。ウージェニーは初聖体を受けました。そして、初聖体を拝領した後に、心にささやきかける声を聞きました。

「あなたはやがてお母さんを失うでしょう。しかし、私があなたにとってお母さん以上のものになります。そしてあなたは、今はまだよく知らないこの教会に奉仕するために、すべてのものから離れる日がくるでしょう。」

この頃の彼女の生活は幸福そのもので、何の不自由もなく、両親や兄弟と楽しい日々を過ごしていました。

初聖体をした聖セゴレーヌ教会
初聖体をした
聖セゴレーヌ教会

苦悩

1830年

父の事業が失敗し、広い邸宅も人手に渡りました。その上両親の不仲も重なって家族は別居することになりました。一番仲の良かった兄のルイは父に引き取られ、ウージェニーは母と2人でパリに向かいました。

しかし、1832年には母がコレラに感染し、たった数時間で亡くなりました。15才だったウージェニーは、最愛の母を失った深い悲しみに沈みました。

最愛の母の死
最愛の母の死

2つの
家庭

母の死を伝え聞いた父は、ウージェニーをドゥルセ家に預けました。ドゥルセ家はとても裕福で夫人は社交家でしたので、ドゥルセ家では頻繁にパーティーが行われました。しかし、ウージェニーは、たくさんの人に囲まれていても、孤独感に苦しんでいました。また、人生の意味や真理について探究しながらも、答えが見つからず、ウージェニーの心は荒海のようでした。

ウージェニーの苦しみを知った父は、親戚のフロン家に彼女を預けました。フロン家は、ドゥルセ家とは違い、信仰深い家庭でしたが、ウージェニーにとっては、この家庭の信仰は、堅苦しい無味乾燥なものに思われました。


真理とは?
人生の意味とは?

出会い

1836年 四旬節

しかし、ウージェニーがフロン家に預けられたのには神様の導きがあったのです。1836年、信仰深いフロン家の人々は、四旬節の連続説教を聞きに行こうと、ウージェニーを誘いました。彼らが向かったのは、パリのノートルダム大聖堂でした。そこで連続説教をしていたのは、ラコルデール神父様でした。

神父様は、ウージェニーが求めていた真理について、明快に説教されました。その日、ウージェニーは神父様に面会し、修道生活を望んでいることを告げました。すると神父様は、「修道生活とは、人々の魂を救うために自分を与えることです。祈りなさい。そして時期が来るまで待ちなさい。」とおっしゃいました。

その時、ウージェニーは18才でした。ウージェニーは、ラコルデール神父様の説教を聞き、教会こそが正しい導き手であることを確信しました。そして、「私のすべての力、いえ、むしろすべての弱さをこの教会のために捧げたい。」と望むようになりました。

パリのノートルダム大聖堂
パリのノートルダム大聖堂

1837年 四旬節

この年もまた、フロン家の人々は連続説教に行く計画を立てていました。そんなある夜、ウージェニーは夢を見ました。知らない教会で知らない神父様の説教を聞きに行った夢でした。そして、夢の中で声を聞きました。「この人こそあなたが探している道案内人です。どの道に進めばいいのか教えてもらえるでしょう。」

その翌日、フロン家の人々が向かった教会は、ユスタッシュ教会でした。そこは夢で見たままの教会で、説教していたのは夢に出てきた神父様でした。その方は、コンバロ神父様という方でした。

ユスタッシュ教会
ユスタッシュ教会

面会

ウージェニーはコンバロ神父様に面会を求めました。しかし、神父様の第一声は、「あなたは聖母マリアを特別に崇敬していますか?」という問いでした。それに対してウージェニーは、「それほどでもありません」と正直に答えたところ、コンバロ神父様は失望されたようでした。神父様は、被昇天のマリア様に捧げられた教育修道会を創立する考えを持っておられ、創立者を探しておられたからでした。

しかし、何度か面会するうちに神父様の考えが変わってきました。そして、ウージェニーこそ、聖母被昇天修道会の創立者となる人だと確信されるようになりました。創立者になることを躊躇するウージェニーに対して、神父様は、「聖母被昇天修道会の創立者はイエス・キリストです。私たちはキリストの道具になるだけです。キリストのみ手にかかれば一番弱い者でも一番強い者になります」と説得されました。

ウージェニーは、自分の受けた教育、そしてその当時の社会を振り返り、イエス・キリストが大切にされていないことに心を痛めていました。それで、コンバロ神父様の「教育を通して社会を変革する」という考えには心から賛同していましたので、堅信の秘跡を受け、聖霊の助けによりその重責を担うことを決心しました。

コンバロ神父様
コンバロ神父様

仲間

修道生活を始めるにも、修道会はまだできていませんでした。ウージェニーは別の修道会で修練を受けながら、創立の準備をしました。

コンバロ神父様は、ウージェニーの時と同じように、説教に立ち寄った先で聖母被昇天修道会のシスターとなるのにふさわしい女性たちに出会いました。

今もフェルウ街に残る最初の修道院のあった建物
今もフェルウ街に残る最初の修道院のあった建物

創立

1939年4月30日

パリのフェルウ街のアパルトマンの一室に最初の共同体を創立。 ウージェニーとアナスタジー・ベヴィエ、ジョゼフィン・ネロンが共同生活を始めました。

ジョセフィン・ネロンは病弱で修道生活を続けることはできませんでしたが、すぐにキャサリン・オニールとジョゼフィン・ド・コマルクが加わり、この4人の姉妹たちが聖母被昇天修道会の礎となりました。

初ミサ
修道名

1939年11月9日 パリのヴォジラール街に転居

姉妹たちの数は、少しずつ増えていきました。部屋数が足りなくなったので新しい家を買い、やっと聖堂にご聖体を安置する許可ももらえました。そして、11月9日に、修道会で初めてのミサがコンバロ神父様によって捧げられました。

その日、姉妹たちは奉献のしるしとしてそれぞれ修道名を受けました。ウージェニーは、「イエスのマリ・ウージェニー」という名前になりました。

この修道名を受ける伝統は、今でも受け継がれています。現在では、修練期に入る時に修道名を頂きます。


初ミサのために、 姉妹たちは心をこめて 聖堂の準備をしました。 祭壇の上には、ステンド グラスの代わりに色紙を 貼ってゴシック風の窓も 作ったそうです。

修道服

コンバロ神父様は、かつてオーレーの教会で祈っていた時に、被昇天の聖母に捧げら れた修道会についてのインスピレーションを受けたのです。それは、女子教育のために働く姉妹たちで、贖罪の印である「紫色」の修道服をまとい、聖母に対する奉献の印として「白色」のヴェールをかぶるというものでした。マリ・ウージェニーと姉妹たちは、1840年の8月15日にこの修道服を着衣しました。

このインスピレーションによって、私たちの修道服は今でも「紫色」です。ヴェールは管区によって違いますが、日本管区をはじめ多くの管区では、現在では「藤色」のヴェールをしています。

当時の修道服
当時の修道服

移転 1842年のはじめに、3人の生徒の教育が姉妹たちにゆだねられ、手狭になった ヴォジラール通りからアンパス・デ・ヴィーニュに引っ越しました。そして、10月、会の最初の寄宿学校が14名の生徒で始まりました。  
終生誓願

1844年12月25日

マリ・ウージェニーと4人の姉妹たちは、終生誓願を立てました。それぞれ、神様に身を捧げた者として金の指輪を受けました。それぞれの指輪には、一人ひとりが選んだ言葉が刻まれました。マリ・ウージェニーの指輪には、「主よ、わたしがあなたを愛していることはあなたがよくご存知です」という聖ペトロの言葉が刻まれました。姉妹たちは、「神のみ国の発展のために生涯を捧げる」という第4誓願も立てました。

現在では、この第4誓願は行われていませんが姉妹たちは、3誓願を宣立することによって、教育を通して社会を変革し、神のみ国の発展のために生きることを誓います。

また、指輪に言葉を刻む伝統も、現在まで受け継がれています。姉妹たちは、終生誓願の時にこの指輪を頂きます。

シャイヨーへ

マリ・ウージェニーは生徒たちに近代的な教育を施し、その評判が伝わり、小さな学校に生徒が増え始めました。そこで、1845年、修道会と学校はパリ市内のシャイヨーに移りました。修道院も寄宿舎もとても貧しいものでしたが、国際色豊かな生徒たちが集まってきました。

また、このとき、最年長の姉妹でさえ30歳になっていなかった共同体は、いのちと活気にあふれ、この共同体から、南アのケープタウンへ、イギリスのリッチモンドへ、と姉妹たちは宣教に旅立って行きました。

オトゥイユへ

1857年、修道会はパリの西部のオトゥイユにようやく定住の地を見出しました。ここに約50年間、20世紀初頭まで本部がおかれました。その後、戦争のため約50年間、本部がベルギーに移りますが、1950年代に再び本部はオトゥイユにもどり、今日までその地にあります。

発展

創立者は、修道会と学院の発展に力を尽くしていきました。創立者がその生涯をかけて取り組んだ会憲は、1888年にローマから最終的に認可されました。

創立者が帰天するまでに、会と学院はフランスから、イギリス、スペイン、イタリア、ニカラグア、エルサルバドル、フィリピンに広がっていました。

帰天

1898年3月10日 夜明け前

マリ・ウージェニーは、姉妹たちに見守られながらしずかにその生涯を閉じました。


総本部にある祭壇の下 にはマリ・ウージェニーの 遺体が納められています。

列福

1975年

マリ・ウージェニーは、福者の列に加えられました。列福式はローマで行われました。

列福式
列福式

列聖

2007年6月3日

創立者はローマ教皇ベネディクト16世によって聖人の列にくわえられました。列聖式はバチカンの聖ペトロ大聖堂前広場で行われ、世界中の大勢の姉妹と、わたしたちの友人とが参加し、お祝いしました。